書くことについて

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幼い頃、「生きること」は良きことだった。

思春期の頃、生きることのなかに「疑い」という劇薬が紛れ込んだ。

何故、生きるか? そう問うた時、僕は混乱した。

答えを知りたかった。

文字通り、のた打ち回った。自らの身体を呪いもした。

十代最後の年のある日、死ぬことが怖くなくなっている自分を発見した。

朝、目が覚めなくても構わないなと、本気で思った夜もある。

死ぬには遺書が必要だと、切羽詰った考えを持った。

何か書き残さなければいけないような気がした。

書いた。

原稿枚数にして130枚弱。

それが僕が初めて書いた短編小説。

タイトルは「呪詛に彩られた深き眠り」。

その、今思えば拙いだけの文章は物語としてもだめだったけれど、

熱だけはみなぎっていた。そう思う。

その物語の最後で、主人公の青年は自死したが、僕は、そのできばえが非常に不満だった。

次はもっと上手く書いてやる、そう思った。

そして僕は、いま、生きている。

そして、その時から今までの間にたくさんの小説や音楽や、人々に出会った。

「小説」との出会いは僕の人生を確実に変えたけれど、僕は、いつも何かが足りないと感じ続けた。

だからいま、もう一度、書いてみようと思う。

たとえそれが、「取るに足らない」ものだとしても。

「広大な可能性」を信じて—。

2017年 夏羽

 

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―「茶番・取るに足らない詳細・無名性・栄誉無き日常・共同生活といった、これらすべてのことが、言われうるし、言われなければならず、望むらくは書かれうるし、書かれなければならない。

(中略)

誕生したのは、従って、言述の広大な可能性である」―

(M・フーコー『汚名に塗れた人々の生活』)

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