独白

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様々なものが混在して、掛け合わされ、組み換えられている街の中に、もはやオリジナルのものなんか何もない。

もし、自分が誰かの代替的存在だったとしても、そのことを指摘してくれるものはない。

なぜか生きるという問い自体、「底」が抜けているように感じるのは当たり前で、

その感じを抱えて生きていくことが至極当然であり、またそれが現代に生きる人間には避けがたい“現実”であるという認識だけではどうにもならないところまで、事態は、時代は進展しているのだろう。

時代に要請されるもの、それだけがとりあえずの価値を認められるが、それも時代に見放されれば、命運は尽きる。

つまり「底」が抜ける。

そのような現状を指して、歴史や大衆の残酷さを嘆いてみせても、「歴史」が、そのような残酷さを忘れた瞬間など、かつて一度もなかったのだと言うことを、まともな誰かにまざまざと思い起こさせるに至るだけだ。

だから、僕やみんなは、自分らしさや、存在の意味や、己の有用性を汲々として探し求め、彷徨う。

人々がやがて、そのようなあてのない旅を止め、ふと、あたりを見渡すように視線をめぐらした先にあるものは、畢竟、混沌か焦燥か、グロテスクな夢か、無情な“現実”でしかない。

仮に、時代が新しくなっても、目先の生活はちっとも変わらない。

ひとり一人はいつだって、自分が社会のどの部分で役に立ち、どの部分を消費し、或いは磨耗しているのか知らない。

それにもかかわらず、自分はあらゆる全ての選択肢を与えられ

(或いは自らの手で掴み取り)その選択肢の中から、

あくまで自由に任意に恣意的に自らが望むものを掴みうる、選択しうると思い込む。

思い込まないにしろ、本来、人はそうある「べき」だと思い込んでいる。

 

自由主義、民主的、平等の名の下に。

 

僕はたまに思う。

もしも、神がこの世に本当に存在するのなら、神とは悪魔の化身に過ぎないということを我々は知るべきかもしれないと。

全てが明朗な明るさの中に存在するわけではない。

全てが明らかにされているわけでもない。

 

隠されているもの、見過ごされている何か、

そのようなものの中から任意に、気まぐれに、

僕たちは様々なことを知ったり知らなかったりしながら、日々を暮らしている。

そのこと自体は特に問題ではないし、誰も気にしない。

例えば、いつどこで誰と誰の間に子供が生まれ、同じ時間にどこで誰がどんなカタチで死んでいきつつあるのか、

などということを知ろうと思う人間なんて、おそらく誰一人いないように。

そんな世界に生まれた僕たちの、

唯一の希望は、

僕たちの声がどこかに届き誰かがそれを受け取ってくれるかもしれないという、

非常に心もとない、儚いものだけだ。

それは一夜の夢である。

朝になればすべてが暴かれる。

現実という魔物の口の中に自ら入ることを余儀なくされる朝がくるのだ。

そうしてやがて、そんな無残な累々たるかつての夢見人たちの屍の前に、言葉を失くして、心も失くす。

少なくとも僕はそうだったと白状する。