吉本隆明『転位のため十篇』「火の秋の物語 ――あるユウラシヤ人にーー」 

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吉本隆明の詩の中で最も好きな一編は、

「転位のための十篇」の中の「火の秋の物語――あるユウラシヤ人にーー」だが、

なぜこの詩が好きかと問われてもうまく答えられない。

ただ、僕はこの詩を読んでいつもイメージするのは「影絵」である。

影絵が小さな画面のなかで動きながら、やや冗長な音楽が流れるー。

影絵は、血を流している。

砂埃に塗れた風に吹かれている。

その男は、影絵として存在した。

感情を爆発させたくても、出来なくて、

ただ歩いた。

兵士は、元はただの男だった。

何かが、否応無く彼を、追いやった。

彼は、ユウジンに応答を求める。

それは徐々に、宣告に近くなる。

内奥に、理不尽な憤りを抱え込んだ人間の問いは、

他者に「生」を突きつける。

そんな想像に浸されながら、僕はこの詩を読む。

苦しい詩である。

***

転位のため十篇

火の秋の物語
    ――あるユウラシヤ人にーー

ユウジン その未知なひと
いまは秋でくらくもえてゐる風景がある
きみのむねの鼓動がそれをしつてゐるであらうとしんずる根拠がある
きみは廃人の眼をしてユウラシヤの文明をよこぎる
きみはいたるところで銃床を土につけてたちどまる
きみは敗れさるかもしれない兵士たちのひとりだ

じつにきみのあしおとは昏いではないか
きみのせおってゐる風景は苛酷ではないか
空をよぎるのは候鳥のたぐひではない
鋪路(ペイヴメント)をあゆむのはにんげんばかりではない
ユウジン きみはソドムの地の最後のひととして
あらゆる風景をみつづけなければならない
そしてゴモラの地の不幸を記憶しなければならない
きみの眼がみたものをきみの女にうませねばならない
きみの死がきみに安息をもたらすことはたしかだが
それはくらい告知でわたしを傷つけるであらう
告知はそれをうけとる者のかはからいつも無限の重荷である
この重荷をすてさるために
くろずんだ運河のほとりや
かつこうのわるいビルデイングのうら路を
わたしがあゆんでゐると仮定せよ
その季節は秋である
くらくもえてゐる風景のなかにきた秋である
わたしは愛のかけらすらなくしてしまつた
それでもやはり左右の足を交互にふんであゆまねばならないか

ユウジン きみはこたえよ
こう廃した土地で悲惨な死をうけとるまへにきみはこたへよ
世界はやがておろかな賭けごとのをはつた賭博場のやうに
焼けただれてしづかになる
きみはおろかであると信じたことのために死ぬであらう
きみの眼はちひさないばらにひつかかつてかはく
きみの眼は太陽とそのひかりを拒否しつづける
きみの眼はけつして眠らない
ユウジン それはわたしの火の秋の物語である  (1951.10)

  初出昭和27年六月一日『大岡山文学』(第八十八号) 逸見明